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東京高等裁判所 昭和57年(う)699号 判決 1982年10月14日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一三〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人本人及び弁護人稲野良夫が提出した各控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事濱邦久が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一事実誤認の各主張について

論旨は、要するに、被告人は、捜査段階以降一貫して覚せい剤を自己使用したとの本件犯行を否認しているが、この供述は、被告人の尿から覚せい剤が検出されなかったことや被告人には注射痕がなく、注射器などを所持していなかったことと符合していて十分信用でき、他面、被告人が昭和五六年一二月七日に提出したとされている尿から覚せい剤が検出されているものの、これは、係官が被告人と同時期に警視庁富坂警察署に勾留されていた杉敏明からそのころ提出された尿と間違って取扱った疑いが大きいにもかかわらず、原判決がこれを看過して被告人の本件犯行を認定したのは事実誤認に当たる、というのである。

しかしながら、原審記録を調査し当審における事実取調の結果を参酌して検討すると、原判決が挙示する証拠によれば原判示事実を肯認することができる。そこで、所論に鑑み若干付言すると、被告人は、捜査段階以降本件犯行を否認しているが、当初は、覚せい剤の検出された前記尿が自分のものであることを前提として事前に風邪薬などを服用したためではないかなどと述べたり、他人の尿と間違えられたと尿の同一性を否認したりしていたが、市販されている薬は覚せい剤を含有していないことが判明したこともあって、その後は専ら後者の弁解を縷々供述し、所論もこれに依拠するものであって、被告人が提出した尿の同一性が本件の実質的な唯一の争点となっている。当裁判所としてもこの点に留意して慎重な審理を尽したわけであるが、《証拠省略》によれば、被告人が尿を提出したと認められる昭和五六年一二月七日には前記富坂警察署において採尿された者は他にいなかったばかりでなく、被告人が尿を提出してから同日中に科学捜査研究所に鑑定嘱託されてその鑑定を終えるまでの間、他の事件の場合と同様に、被告人の尿を入れたポリ容器の受入・保管、鑑定器具の取扱などを通じ他人の尿との混同を避ける慎重な措置が講じられていたことが認められ、《証拠省略》もこれを裏付けており、被告人の提出した尿の同一性を疑う余地はない。なるほど、所論が尿を取り間違えられた対象者として主張する杉敏明についてみると、関係証拠によれば、同人が逮捕された昭和五六年一二月九日に提出した尿からは覚せい剤が検出されず、かえって同月一七日に提出した尿から覚せい剤が検出されている。しかし、杉の一回目の尿の提出は被告人の前記尿提出と日時を異にしていて混同の可能性がなかったばかりでなく、《証拠省略》によれば、覚せい剤の使用に接着して採尿が行われたときは、覚せい剤の使用量、使用者の体質・食物などに応じて当該尿から覚せい剤が検出されないことがあることが認められ、右事実に照らすと、杉が一回目に提出した尿から覚せい剤が検出されなかったのは右尿の提出と覚せい剤の使用時期が接着していたことによるものと理解でき、もとより所論が裏付ける証左となるものではない。次に、所論は、尿提出当時酔っていて封緘用紙に署名できなかったものの捜査官に指示されて指印だけはした旨の被告人の原審以降の供述に依拠して、被告人の指印が欠けていることを理由に被告人の尿を入れたポリ容器の同一性を争っている。《証拠省略》によれば、昭和五六年一一月から採尿した尿を入れた容器は直ちに封緘して尿提出者をしてこれに指印させる旨採尿後の手続が改められたことが認められ被告人の右供述もこれに副うものではあるが、被告人が当時かなり酒に酔っていたことは、尿の任意提出書の署名からも窺い知ることができるので尿提出に引続く任意提出書を作成した際に指印したことと記憶違いをしたことも考えられるばかりでなく、原審証人森山は、被告人から尿の提出を受けてポリ容器を封緘するとき被告人に指印させることを失念した旨の被告人の右供述を否定する証言をしており、自らの不手際を自認した自然な内容のものとして同証言の信用性は高いとみられるばかりでなく、前記のように取扱が変わるまでは尿を入れた容器を封緘すること自体確実に行われていなかったことからすると、右変更から間もない時期に深夜被告人から尿の提出を受けた森山がその証言のような手続的過誤を犯すことも十分考えられることをも考慮すると、同証言の信用性に欠けるところはないものと認められる。したがって、これに反する被告人の前記供述は信用することができず、所論は採用できない。また、被告人が昭和五六年一二月一六日に再度提出した尿からは覚せい剤が検出されなかったが、これは日時の経過によるものと理解でき、その故に被告人の刑責が否定されるものではなく、その余の所論を検討してみても、前記杉敏明以外の者の尿と取り違えた可能性や故意に取り替えた事実は認められないので、原判決の事実認定に誤りはなく、論旨は、いずれも理由がない。

第二弁護人の量刑不当の主張について

論旨は、要するに、本件は、偶発的犯行であって常習的なものではないこと、被告人の尿を入れたポリ容器の封緘の際被告人に署名や指印をさせるのを怠ったという捜査官の不手際が本件を混乱させた要因であって、被告人が本件犯行を否認していることを量刑上重視するのは相当でないこと、原判決は未決勾留日数の算入が少ないことなどの諸事情に照らすと、被告人を懲役一年二月に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

しかしながら、原審記録を調査し当審における、事実取調の結果をも併せ検討すると、本件は、傷害罪などによる懲役前科一犯、罰金前科六犯を有する被告人が、昭和五六年四月二一日に覚せい剤取締法違反罪(譲受、所持)により懲役一〇月、三年間刑執行猶予に処せられた後郷里の長崎県佐世保市から単身上京したものの、転々と職を変えて飲酒に耽る不安定な生活を送るうち、右裁判の言渡しを受けて八か月にも満たない短時日に覚せい剤を自己使用したという事案で、所論のように偶発的犯行として本件の犯情を軽視するのは相当でないこと、前記のとおり証拠保全に関して捜査官に若干の不手際があったとはいえ、被告人は、当審に至るまで終始これを否認して犯情は芳しくないことなどの諸点に照らすと、被告人の刑責は重いといわなければならないから、原判決が確定すると被告人は前記刑執行猶予中の懲役刑にも服することとなることなど諸般の情状を被告人のため十分斟酌するとしても、被告人を懲役一年二月(求刑懲役一年六月)に処したうえ、原審における未決勾留日数八一日から被告人が労役場に留置されていた一五日を控除した六六日中三〇日を右刑に算入することとした原審の量刑は、やむをえない措置というべく、これが重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は、理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中一三〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑田連平 裁判官 香城敏麿 植村立郎)

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